信田地区は近世、赤田村・田野口村・氷熊村・境新田村・灰原村・高野村・小田原村・軽井沢村の八ヵ村が松代領であった。廃藩置県後、明治六年(一八七三)の戸籍区では灰原村・高野村・小田原村・軽井沢村は第三三区に、赤田村・田野口村・氷熊村・境新田村は第三五区に属した。同七年の大小区制では小田原村・軽井沢村は第一五大区第三小区に、灰原村・高野村は第一五大区第四小区に、赤田村・田野口村・氷熊村・境新田村は第一五大区第五小区に属した。明治九年三月十二日、氷熊村は有旅(うたび)村の飛び地浅野を編入した。同年氷熊村と境新田村が合併して氷ノ田村となり、小田原村と軽井沢村が合併して田沢村となった。
同十二年には大小区制が廃止され、各村に戸長役場が設けられ民選戸長を置いた。明治十八年に連合戸長制がしかれ、田野口村ほか五ヵ村は一つの行政区となり、戸長役場を田野口に置いた。