和田城

861 ~ 861

信更町田野口一致地籍 山城 郭(くるわ)・土塁・堀切 標高六〇〇メートル、比高約一〇〇メートル。

 和田城のある場所は、川中島平から上水内郡信州新町久米路橋方面に通じる古道や上尾(あげお)城への道を配し、後世はここに松代藩の口留(くちどめ)番所が置かれ、交通の要衝地で、地侍田野口氏の要害と伝えられるが、詳しいことはわからない。

 本郭は、和田山南端の最高地点にあって、不整四辺形状で、北と西に土塁跡が残っている。その南に狭い腰郭が三つ連なっている。本郭から堀切をへだてた下段に二の郭があるが、西から北、東にかけて幅四メートルぐらいの土塁跡を残している。これら二郭の西側の下段に脇郭が置かれている。なお、堀切をへだてた二の郭北方の郭は三角状で、一番下段にある。これら諸郭の北西は二条の堀切で断ち切られている。

 和田城は、兜(かぶと)を置いたような山頂を本郭として、そのまわりを各郭が取り巻いている点が、きわめて珍しい縄帳りであるという。