一 神社

864 ~ 866

 朝日神社 赤田卒塔原(そとばら) ①祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)・八坂斗売命(やさかとめのみこと) ②由緒 赤田の産土神(うぶすながみ)。往時この地を朝日の里とよび、諏訪神社を分祀(ぶんし)して諏訪社と称した。天保(てんぽう)十年(一八三九)に社号を許可された。言い伝えによれば、寿永(じゅえい)年間(一八二~八四)木曾義仲が、越後国の城資職(じょうすけもと)と横田河原で戦った節当社に祈願したという。正保(しょうほう)年中(一六四四~四八)神殿を焼失し、享保(きょうほう)十二年(一七二七)に再建した。

 清水神社 田野口大峯 ①祭神 罔象女命(みずはのめのみこと) 相殿(あいどの) 事代主命(ことしろぬしのみこと) 建南方主命(たけみなかたぬしのみこと) 八坂斗売命 ②由緒 田野口の産土神。武内宿禰(すくね)の末裔(まつえい)田口朝臣(あそん)が当地に下向(げこう)し、開田農桑をすすめた。村内の水を灌漑(かんがい)用水として、清水山のふもとに大清水・小清水・御手洗・燈明田等を新しく開田し、約三〇〇〇俵ほどの収穫を得ることができた。余った水は、赤田・川柳・塩崎三ヵ村の灌漑用水となっている。この清水の湧出(ゆうしゅつ)地に当社を勧請(かんじょう)し、郷名も清水と称した。寛政三年(一七九一)に清水神社と改称した。『延喜式(えんぎしき)』神名帳(じんみょうちょう)記載の清水神社は、信更町三水・更級郡上山田町力石・長野市真島町にもある。

 文政十一年(一八二八)に明元流の算額と、嘉永(かえい)五年(一八五二)に庶民の句一九八句、明治十二年(一八七九)に等栽(とうさい)・潮堂(ちょうどう)が選者となった八九〇句の俳額が奉納されている。文化十四年(一八一七)、清水神社に相撲奉納額二面が奉納されている。

 氷野田神社 氷ノ田越道 ①祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 健御名方命 神八重葦命(かみやえあしのみこと) 誉田別命(ほんだわけのみこと) 八坂斗女命 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 事代主命 ②由緒 氷ノ田の産土神。当社は明治四十三年に氷ノ田の小谷(おたに)・佐伽井(さかい)・天池(あまいけ)・忍穂(おしお)の四社を合祀し、現在地に移転して、氷野田(ひのた)神社と称した。小谷神社は氷熊の、佐伽井神社は新田地籍の、天池神社は氷熊の内原組の、忍穂神社は入有旅村のそれぞれの産土神であった。

 宗像神社 氷ノ田鹿ノ入 ①祭神 田心姫命(たごりひめのみこと) 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 湍津姫命(たぎつひめのみこと) ②由緒 天明四年(一七八四)鹿ノ入池改修竣工(しゅんこう)にあたり、池の水徳を尊崇して筑前の本宮宗像(むなかた)神社を勧請した。昭和六十年に池の東岸の水源地にある社殿を遷宮した。平成十一年(一九九九)に池の西岸下の現在地に前宮社殿と石鳥居を再建した。

 大上神社 灰原大上 ①祭神 建御名方命 事代主命 ②由緒 灰原の産土神。建武二年(一三三五)の創建と伝えられる。寛永十二年に社殿を修築し、昭和七年(一九三二)本殿・拝殿を再建し、諏訪社と称していたが同十二年に大上神社と改称した。昭和二十四年に鳥居を再建した。鳥居の横に明神池がある。

 明高神社 高野平 ①祭神 天照皇大御神 相殿 神日本磐余彦命(かんやまといわれひこのみと)(神武天皇)、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)など六柱。②由緒 高野の産土神である。言い伝えによると興国(こうこく)六年(一三四五)の創建と伝えられる。神明宮と称していたが明治九年(一八七六)に明高神社と改称した。大正八年(一九一九)にけやきの神木が倒れて拝殿がこわれ、けやきの神木代金で大正十年に再建した。

 明治四年に茂椎(もすい)らが選者となった六二九句の俳額が奉納されている。

 小田原神社 小田原向山 ①祭神 健御名方命 事代主命 ②由緒 小田原の産土神である。諏訪社と称していたものを明治十一年(一八七八)現社名に改称した。昭和二十三年に石段の一部を増設した。同二十六年に鳥居を建て替えた。

 宮表神社 軽井沢宮表 ①祭神 健御名方命 事代主命 大山祗命(おおやまつみのみこと) ②由緒 軽井沢の産土神である。勧請は建武二年(一三三五)と伝えている。宝暦九年(一七五九)に松代藩領内神社調査のさい、諏訪大明神として届けている。万延(まんえん)元年(一八六〇)に社殿が焼失した。明治十四年に宮表神社と改称し、同三十年に拝殿を修繕した。現本殿は、大正五年(一九一六)に改築した。