二 寺院

866 ~ 867

 専照寺 真言宗 赤田 ①本尊 大日如来(だいにちにょらい) ②山号 金福山 ③由緒 真言宗信州四ヵ寺の一つに数えられる名刹(めいさつ)。寺伝によれば、弘仁(こうにん)五年(八一四)に宗祖弘法大師が密教流伝のため巡行のさい、当郷、金毘羅(こんぴら)山(寺山の一部)に錫(しゃく)を留め、五大明王尊像を自筆し安置した。大治(だいじ)元年(一一二六)に裕俊(ゆうしゅん)が堂宇を再建し中興第一世となる。第一〇世長秀(ちょうしゅう)は康永(こうえい)元年(興国三年、一三四二)に四国讃岐(さぬき)(香川県)の善通寺から小県郡前山(ぜんざん)寺に入り同寺を再建、のちに、当寺へ来て旧寺屋敷から伽藍(がらん)を現地に移し金福山亀峰院専照寺(きほういんせんしょうじ)と称した。慶安二年(一六四九)俊慶(しゅんけい)の代に朱印寺領一二石を付与され、元禄七年(一六九四)に、第二三世知栄(ちえい)は松代藩主真田幸道の病気平癒を祈願した功徳(くどく)により田畑一二石余を門役免除され、明治五年(一八七二)に上地(あげち)した。文化十三年(一八一六)、第二九代栄知(えいち)のとき、近火で堂宇が類焼し、文政十二年(一八二九)に第三〇世栄高は本堂・庫裏(くり)・衆寮、護摩堂(ごまどう)などを再建し、この建物が現存している。

 本寺は末寺二三ヵ寺をもつ地方本寺で、常法談林寺(真言宗の学問道場)として、真言宗の学問修行道場として格式ある寺である。現在も宗派の事相(実践)専門道場に指定され、全国から修行者が山籠(さんろう)している。湧泉の閼伽水(あかすい)はこの「赤田」集落の水田をうるおし、それが集落名の語源になったともいわれている。第三五世栄章(えいしょう)は、総本山長谷寺法務執事をつとめた。

 密蔵寺 真言宗 田野口一致 ①本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい) ②山号 阿宗山 ③由緒 寛文(かんぶん)七年(一六六七)に源念(げんねん)が開基して第一世となる。明治六年(一八七三)八月一日に、田野口ほか山平林村・境新田村・安庭村・三水村・氷熊村・山布施村(山村山・青池)・有旅村(鶉石(うずらいし)・犬石)八ヵ村の組合立として、密蔵寺に格物学校を開校した。

 真福寺 曹洞宗 田野口山寺 ①本尊 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ) ②山号 徳寿山 ③由緒 慶安二年(一六四九)に創建し、源祝(げんしゅく)が開基して第一世となる。弘化四年(一八四七)に善光寺地震で本堂等が倒壊し、のち再建した。昭和四十九年(一九七四)に本堂を改修した。徳川慶喜(よしのぶ)の孫家達の書いた山号徳寿山の額がある。

 常安寺 曹洞宗 高野 ①本尊 釈迦牟尼仏 ②山号 医王山 ③由緒 もと真言宗に属し薬師如来を安置していたといわれる。応永年間(一三九四~一四二八)、更級郡八幡の大雲寺第八世位仙(いせん)が創建し開山した。川中島合戦のころ武田領となり寺領を寄進し保護された。弘化四年(一八四七)の善光寺地震により堂塔は崩壊し、嘉永四年(一八五一)に、第一六世文国(ぶんこく)が本堂を再建し中興開山となった。明治二十五年(一八九二)に第一九世練戒(れんかい)は仙石地籍の民家を移し建立した。これが今の庫裏である。藩から二石六斗四升の除地をあたえられた。