松代騒動ほか

870 ~ 870

明治三年(一八七〇)に松代騒動(十一月二十五~二十七日)が起こった。二十五日上山田村に起こった一揆(いっき)は、松代領更級・埴科・高井・水内の四郡数万人におよぶ騒動となった。西山中の農民も二十五日夜から行動を起こし、田野口をへて石川坂を下った。そのとき、田野口札木の名主宅・下の酒屋の二軒が焼き打ちの被害をうけた。一揆の代表と藩知事真田幸民(ゆきもと)が大英寺で会見し、年貢金の金一〇両七俵相場、商法社札と太政官札の等価引き換えを承認させた(『田野口区史』)。

 このほかに、安政四年(一八五七)に小山田池の水利権について、赤田村と下流の石川・二ッ柳とのあいだに、「小山田池用水利用水車の両村出入り」があった(赤田村上条家文書)。

 また、明治四年に、田野口村の小作人たちが、地主の小林家にたいして「小作料値下げ」の争議をおこした。