鹿ノ入池改修の碑文によれば、天明四年(一七八四)に、溜池が竣工している。大正十一年(一九二二)土堤をなおしたが漏水がつづいた。昭和三十六年には、鹿ノ入土地改良区を設立して、堤体補強(漏水防止)の樋管水路改修工事が竣工した。二八ヘクタールの水田用水と一〇〇戸余の飲料水である。昭和六十年のゴルフ場開発にともない、災害防止のための堤塘(ていとう)かさ上げ工事をおこなった。池は東西一六二メートル余、南北一五一メートル、周囲六九四・八メートル。「鹿ノ入池係」の運営については、明治二十四年からの記録がある。氷熊・浅野・原市場の三組から一人ずつ選出、交互に年番制で、用水費負担は反別割り・地価金割り半々である。昭和二十四年からは反別割りだけになった。昭和四十年ころから、池係が用排水調整委員となった。
一・五メートルの堤塘かさ上げ工事は昭和六十年に竣工した。その後、鹿ノ入池改修事業は、一連の老朽溜池等整備事業として、堤塘・底樋・斜樋・堤塘波除護岸工事をおこない、平成六年(一九九四)十二月に竣工した。
鹿ノ入土地改良区の水路改修工事は、昭和四十六年に竣工した。延長六四七三メートル。鹿ノ入池への揚水施設工事は同五十年に竣工し、浅野地籍から鹿ノ入池へ送水している。