慶長七年(一六〇二)の森右近検地で信田地区の村々の石高は一二〇六石、これを一〇〇にした場合の指数は、二八一年後の明治十六年(一八八三)『町村誌』では一六一(一九四三石)に増えている。村高が増えたのは、溜池を築き、沢の水を治め、傾斜地を開墾して新田が増えた結果である。
二 石高の変遷
慶長七年(一六〇二)の森右近検地で信田地区の村々の石高は一二〇六石、これを一〇〇にした場合の指数は、二八一年後の明治十六年(一八八三)『町村誌』では一六一(一九四三石)に増えている。村高が増えたのは、溜池を築き、沢の水を治め、傾斜地を開墾して新田が増えた結果である。