信田地区は明治七年に田畑面積四五七・四ヘクタールであった。そのなかで、水田面積が一番多い村は主な産物田野口で、田畑面積の半分弱が水田であった。米を村外へ出荷している村は田野口村一九八石と赤田村一〇〇石である(『町村誌』)。
高野村と灰原村は田畑面積の八割が畑地であった。
赤田以外の村は薪炭(しんたん)に恵まれていた。農閑期に炭を焼き、灰原・氷ノ田では薪炭を製して稲荷山や篠ノ井駅方面に出荷し、氷ノ田では日雇いや賃馬稼ぎをした。田野口の石材でつくった石碑・常夜灯は特産品として有名であった。
信田地区の米は明治十五年(一八八二)に七五六石であったが、明治三十四年には二・二倍の一六八六石に増えた。