交通機関の発達

877 ~ 877

大正五年に久米路橋を通って、新町-稲荷山間に乗合馬車が開通したが数年で廃止され、長くはつづかなかった。大正十四年に川中島自動車(株)が設置された。同十五年五月に川中島-篠ノ井-塩崎-上石川-田野口-新町間、稲荷山駅-鳥坂峠-田野口-新町間に乗合自動車が運行されるようになった。昭和十三年に県道犀川線が全通しバスを利用するものが多くなった。大岡線は昭和二十七年から、つづいて屋代笹平線も三水経由で始まり、前後して稲荷山大花見線、大森線、そのあと軽井沢牧郷線は昭和四十一年から運行が始められた(第二二章「更府」参照)。