明治以後の災害

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明治二十九年(一八九六)、大雨で、大森の裏山が抜け二戸倒壊した。聖川が氾濫(はんらん)し、釜土・大清水が冠水した。宮ノ下では堤防が破壊した。山田沖では五ヘクタールが冠水し、八戸が浸水し、橋五ヵ所が流失した。

 明治四十四年八月三日・四日、大雨が降り、夜間暴風雨となり、山崩れが六ヵ所生じた。聖川が氾濫し、田畑七ヘクタールが冠水、家屋は三戸破壊した。

 昭和四十八年(一九七三)六月末から五十余日のあいだ日照りがつづき、五〇年ぶりの大干ばつ、信更の農作物被害は一億数千万円となった。「小山田池はあと七日、大花見池はあと五日、涌池(わくいけ)もあと三日」といわれ、他の池と灌漑用水はからっぽになった。同五十七年九月十二日、台風一九号が襲来し、床下浸水が二戸出た。水田は九ヘクタールが冠水埋没した。