格物・奨進・進徳学校

882 ~ 883

明治五年(一八七二)八月、政府は学制を公布し、近代的な教育改革、国民皆学の方針を明らかにした。同六年十二月田野口村ほか八ヵ村で田野口密蔵寺に格物学校を開校した。同六年赤田村は独立で専照寺に奨進学校を開校した。いっぽう同六年、高野村・灰原村・軽井沢村・小田原村は牧田中村ほか一四ヵ村と合同で進徳学校(興禅寺)を開校し、常安寺に高野支校を開校した。同十年格物学校の一番支校(氷ノ田村浅野・氷熊)・二番支校(三水村)・三番支校(山平林村)・四番支校(安庭村)の四校が連合して上尾に四維学校を創設し、五月に開校した。同十二年進徳学校高野支校は更明学校として独立し九月開校した。同十五年赤田卒塔原に奨進学校校舎が新築され、赤田学校と改称された。同十七年一月格物学校は田野口学校となった。同十九年四月町村立小学校規則改正により赤田学校・田野口学校・更明学校、四維学校の浅野・氷熊の二区域が統合し、田野口を本校とし、高野は支校、赤田・浅野は派出所となった。同年五月高野支校は新井に校舎を新築した。