伊勢講

883 ~ 884

田野口下組全域。開始年代は、文化・文政期ごろには、少なくとも講を結成したものと思われる。江戸時代は十二月から一月の農閑期に、現在は三月末におこなっている。今残る最古の記録は大正五年のもので、その年は講員二〇人、代参は二人。昭和四十九年ころから講員四〇人、代参は四人となった。大正五年の規約によると、毎年一人当たり籾五升、講員二〇人で籾二俵を講銭として渡した。代参人は帰ってきて「お講」を開く。自宅の場合は、「吸いもの」で宴会。内輪のものたちはお取り持ちをする。昭和の二十年代までは、代参人は紙袋を作り、天照皇大神宮のお札、タオル・風呂敷・生姜糖(しょうがとう)、こどものいる家へは竹笛を入れ、土産として配った。現在は「天照皇大神宮」札を配る。お講のさいに、次年度の年番をくじ引きで決めている。江戸期の代参講は、三、四人のグループでおこなわれ、村中(大森から宮ノ下)の全戸が代参人の家へ、それぞれ祝儀金(餞別)を持参した。代参人が帰村するときは、村人は鳥坂まで出迎えたものだと伝えられている。

 戦後は、講銭から代参入に普通列車賃とお札代を渡してきたが、平成七年から特急券・座席指定券、お札代を渡すようになった。現在のお講は区集会所でおこない、講員の会費負担で酒五升とよろづ屋へ注文した酒の肴(おでんや煮込み)によっておこなわれている(『田野口区史』)。