更府地区は近世、吉原村・三水(さみず)今泉村・山平林(やまひらばやし)村・安庭村の四ヵ村が松代領であった。明治四年(一八七一)に廃藩置県が施行され、同五年四月、三水今泉村はその名称を単に三水村と変更した。同六年の戸籍区では吉原村が第三三区に、三水村・山平林村・安庭村が第三五区に属した。同七年の大小区制では吉原村は第一五大区第四小区に、三水村・山平林村・安庭村は第一五大区第五小区に属した。明治九年三月十二日山平林村は、有旅村の飛び地桜井を編入した。同十二年には大小区制が廃止され、各村に戸長役場が設けられ民選戸長を置いた。明治十八年連合戸長制がしかれ、三水村ほか三ヵ村は一つの行政区となり、戸長役場を三水字分道に置いた。