市制・町村制の施行

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明治二十二年(一八八九)四月一日市制・町村制の施行により、吉原村・三水村・山平林村・安庭村の四ヵ村は合併(異議あるにより命令を以って合併)して「更府村」が誕生した。旧村名を大字とした。合併当初の更府村は戸数三八六戸、人口二一九七人、面積一三・五五平方キロメートル余であった。その後昭和二十三年(一九四八)四月一日、境界変更により信田の一部(字平越道・第一塩山)が更府村へ移された。

 昭和三十一年六月一日、信田村と更府村が合併し信更村が誕生した。この合併について、更府村では信州新町に近い地域が信州新町との合併を強く要求し、信田村でも塩崎村との合併を強く望むものがあり、村内を二分して争ったが、同年二月両村とも反対を押し切って議会で合併を議決した。この合併議案が県会に提案されると、合併反対派は県会工作に乗りだし、賛成派も県会に陳情したので、混乱が生じた。この混乱を収拾するため、県会側による事態の鎮静化と、両村の内部調整とがおこなわれた。そののち、五月の県会でようやく合併が可決された。村名「信更村」は信田村と更府村のそれぞれの頭字「信・更」をとって新村名とした。