明治二十二年(一八八九)四月一日、吉原村・三水村・山平林村・安庭村の四ヵ村が合併して更府村が成立した。旧村名を継承して四つの大字を編成した。当時村のほぼ中央に位置する三水は、松本・麻績(おみ)方面から諸物資を筏(いかだ)や通船で運ぶ船着場であった。着荷はここで馬に積みかえ稲荷山(いなりやま)・篠ノ井方面へ運送した。更級郡の物資集散地という意味で、更級郡の府「更府」と名づけたという。
三 村名「更府」の由来
明治二十二年(一八八九)四月一日、吉原村・三水村・山平林村・安庭村の四ヵ村が合併して更府村が成立した。旧村名を継承して四つの大字を編成した。当時村のほぼ中央に位置する三水は、松本・麻績(おみ)方面から諸物資を筏(いかだ)や通船で運ぶ船着場であった。着荷はここで馬に積みかえ稲荷山(いなりやま)・篠ノ井方面へ運送した。更級郡の物資集散地という意味で、更級郡の府「更府」と名づけたという。