更府地区の人口が一番多かったのは昭和十五年(一九四〇)である。これについで多かったのは昭和二十年代の二八〇〇人台で、これは復員や疎開人口などによる増加であり県下共通の傾向である。昭和四十五年には明治七年(一八七四)以降はじめて、二〇〇〇人を割りこんでおり、平成二年(一九九〇)以降には一五〇〇人台となり、同十一年には一四〇〇人台となり、人口の流出と高齢化がすすんでいる。また、一世帯あたりの人口比率をみると、昭和二十二年には五・五人であったが、平成十一年には三・一人となった。昭和二十二年の五・五人を一〇〇とした一世帯当たりの人口比率は平成十一年では五六にまで減少し、核家族化の傾向がすすんでいる。