吉原神社 吉原日向 ①祭神 健御名方命(たけみなかたのみこと) ②由緒 吉原の産土神(うぶすながみ)。いい伝えによると、草創のころは石祠にまつられており、大同(だいどう)三年(八〇八)熊野社とともに本宮が建立されたという。宝暦元年(一七五一)松代藩から社領一石が寄進され、天明七年(一七八七)拝殿と社前の常夜灯が建立された。明治十年(一八七七)鳥居と夜灯の石段が新設された。翌十一年吉原神社と改称し、昭和十六年(一九四一)本社を上屋し拝殿を改築した。諏訪大社(諏訪市)に合わせて七年めごとに御柱祭がおこなわれる。
清水神社 三水氷山(こおりやま) ①祭神 天手力男命(あめのたぢからおのみこと) 天思兼命(おもいかねのみこと) 天表春命(うわばるのみこと) ②由緒 三水の産土神。いい伝えによると、上古の渡来人で任那(みまな)の人、都怒賀阿羅斯止の子孫が清水に居住地をあたえられ、荒廃した土地を開拓し、道路を通した功績により「清水首(おびと)」の姓(かばね)を賜わった。この開拓土木の功績は神護によるとして天手力男命を勧請(かんじょう)した。
昔境内の近くにさくら清水、権現清水など、三つの清水が湧きでていることから「三水」の呼び名が起こったという。境内にある小池を種池といい、今でも暴雨や日照りに、水量の増減や濁りを見せないから清水の郷に縁があるという。昔は氷山大神と称したが、弘化四年(一八四七)の震災で旧記・神宝は焼亡した。本社の左側に、延喜式内清水神社と彫った石標がある。明治四十一年他社を合祀(ごうし)し、同四十四年神饌幣帛(しんせんへいはく)供進神社の指定をうけた。延喜式内社とする清水神社は、信更町田野口・更級郡上山田町力石・長野市真島町にもある。
明治二十五年に明月(めいげつ)・圭月(けいげつ)が選者となった一三一一句の俳額が奉納されている。
涌井神社 中平林山沖 ①祭神 竹内宿禰(すくね)神 相殿(あいどの) 事代主命(ことしろのぬしのみこと) 栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと) 建御名方命 ②由緒 当地領主布施小四郎重則が、天禄(てんろく)二年(九七一)に大改造したという記録がある。文亀(ぶんき)・永正(えいしょう)年間(一五〇一~二一)に、水内郡の郷士春日修理大夫が、当地の郷士平林左衛門と山布施の境界争いで戦ったさい、当社は廃絶し、社の跡地に木像だけが残されていた。左衛門は再興し、平林家歴代の氏神、安庭・山平林の鎮護神とした。当社にある木彫の大龍大神は、貞観(じょうがん)年中(八五九~八七七)の大地震に、当社の西方五〇〇メートルの地から大清水が湧きだしたなかから出たと伝える。この清水の湧出でできた小池が涌池のもとであるともいわれている。このことから干ばつのときには当社に雨乞いをすることもある。文政二年(一八一九)神社号をうけた。平成四年(一九九二)に本殿屋根を改修した。本殿右側には合祀された祠(ほこら)が数多くある。
三島神社 山平林虚空蔵(こくぞう) ①祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと) ②由緒 本社は古代からまつる神であるが、治承(じしょう)五年(一一八一)木曾義仲が越後の城資職(じょうすけもと)と横田河原で戦い、越中入りのさい祈祷して戦勝を得、帰国後社殿を造営したと伝える。明応・文亀年間(一四九二~一五〇四)、領主平林左衛門佐正直は社殿の再営を加えた。天明二年(一七八二)義仲の後裔(こうえい)木曾多四郎は社殿を改造した。弘化四年の大地震に社殿は崩壊し、北西の山頂から現在地に移った。嘉永(かえい)二年(一八四九)現社殿を修築した。山上の塚四一基はすべて平林氏の塚である。
矢加美神社 安庭 ①祭神 熊野権現 ②由緒 応神天皇の宮に通じる「王神社・王神さま」とよばれてきた。布施平林郷安庭村の産土神としてまつった。御神体は銅鏡で、建徳二年(一三七一)源義国による奉納と刻まれている。現存する社殿は室町時代応永年間(一三九四~一四二八)に建造されたもの。天文(てんぶん)年間(一五三二~五五)、領主平林肥後守はあつく崇敬し寄進もおこなった。天保(てんぽう)九年(一八三八)現社号に改称した。現在の佐屋殿、拝殿は昭和三十三年に改築したものである。近くに旧安庭村の道路元標(げんぴょう)がある。