慶長(けいちょう)七年(一六〇二)の森右近検地で更府地区の村々の総石高は九一〇石で、これを一〇〇にした場合の指数は、二七〇余年後の明治十二年(一八七九)山平林、同十三年吉原・三水、同十四年安庭(『町村誌』)の一二九〇石は一四一となる。うち安庭では一七二に増えている。また山平林は天保(てんぽう)五年(一八三四)三九六石で一一〇、明治十二年には五一一石で一四三に増えており(『町村誌』)、弘化四年(一八四七)善光寺大地震後の増加に注目したい。
二 石高の変遷
慶長(けいちょう)七年(一六〇二)の森右近検地で更府地区の村々の総石高は九一〇石で、これを一〇〇にした場合の指数は、二七〇余年後の明治十二年(一八七九)山平林、同十三年吉原・三水、同十四年安庭(『町村誌』)の一二九〇石は一四一となる。うち安庭では一七二に増えている。また山平林は天保(てんぽう)五年(一八三四)三九六石で一一〇、明治十二年には五一一石で一四三に増えており(『町村誌』)、弘化四年(一八四七)善光寺大地震後の増加に注目したい。