昭和初期までは、長野方面へ行くには稲荷山か篠ノ井を経由するのがふつうであったが、同十二年県道犀川線が全通しバスを利用するものが多くなった。犀川線は県に移管して長野飯田線となり、のちに、直江津と名古屋を結ぶ国道に昇格し国道一九号となった。犀川線の全通と発電所のダム建設で犀川通船は廃止となった。同十七年に水内ダムが築かれるとともに今泉・安庭下平にダムの橋ができ、また三水にもぐり橋(三十八年)がかかるなど国道への近道ができて交通が便利になった。これらの橋が架設される前には、久米路橋を通る以外は犀川越えは渡し舟で、平水内(三水)・和沢(安庭)・笹平(下平)の渡しを通って対岸に出た。三水もぐり橋は、往きに渡れた橋が、水が出ると渡れず、帰りは久米路橋にまわった。三水もぐり橋にかわって、増水しても渡れる平三水橋が昭和五十二年に竣工した。同年水篠(みすず)橋、同六十年大安寺橋、平成六年(一九九四)両郡橋、同七年明治橋がかけかえられた。平成三年安庭橋、同六年日高トンネルが新たにできた。同年国道一九号の双子トンネルにかわり、犬戻トンネルが開通し、同九年は笹平トンネルが開通し、西部地域と長野市街地を結ぶ交通は以前よりずっとよくなった。