生活の変化

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英雄偉人は時代を大きく変えたものとして歴史に名を留めている。たしかにその存在は大きかった。かれらの力によって一夜のうちに支配関係が変化することもある。それは実年代によって記録され、記憶される。

 実年代による変化は行政的な面にもよくあらわれる。明治二十二年(一八八九)四月一日に誕生した長野町は、明治三十年四月一日に長野市になる。この時を境にして長野町は消滅するのである。そして大正十二年(一九二三)七月一日には吉田町・三輪村・芹田(せりた)村・古牧村を合併する。こうした政治的な変化は、時計で計ることができる時間によっておこなわれる。この変化は時と所とを越えて、共通の性格をもった絶対的な時間にもとづくものである。

 しかし、これによって着る衣服が一夜にして変わるわけではないし、食事のときに箸(はし)を用いていたものがいっせいにナイフとフォークになったわけでもない。この時を境に藁屋根(わらやね)が禁止されるということでもない。役場は変わり行政組織は変わる。それにかかわる政治的側面は変わるけれども、生活のすべてが変わるわけではない。とくに、日常生活自体の変化は一部にとどまることが多い。

 だが、日常生活もまったく変化しないわけではない。たとえば、明かりとしての行灯(あんどん)や灯明・ろうそく・ランプも電灯に変わり、土間は板敷になり、その床にネコ・ゴザが敷かれ、さらに畳が敷かれるようになる。食事も個人個人が管理する箱膳(はこぜん)からちゃぶ台を用いるようになり、さらにテーブルを使うようにもなる。もちろんこうした変化は各家ごとに異なるし、いっせいに変わるわけではない。どの部屋にも電灯がともるようになってからも、神棚にはろうそくを立てるし、仏壇には油灯明をともす家がある。盆に訪れる仏さんの足元を照らすのはカンバ(白かばの皮)の焚き火の炎である。過去に用いられていたさまざまな灯が、われわれの生活のなかに時と場合とによって使い分けられ、存在しているのである。