このようにかつてはもっぱら自然環境によって制約を受けていたのであるが、それに加えて信仰上の、あるいは社会的な理由によって屋敷取りは規制されていた。墓の見えるところには家を建てないとか、かつて墓地やお堂のあったところも何らかの祟(たた)りを恐れて屋敷にはしない。分家を出すときには本家よりも上には出さないといった配慮もなされていた。旧家が氏神の入り口や参道の付近に多いというところも、自然環境以外の理由が考えられよう。松代町では町人と武士の住む区画がはっきりと分かれていたが、これも社会的な住みわけの一例といえよう。あまり大きな影響はなかったようだが、家相を見てもらって屋敷を選ぶこともあった。