自然のなかから住む場として切りとってきた空間が屋敷である。最初に屋敷としてある区画を占有するときには、自然から切りはなすための手続きが必要で、こんにちでは地鎮祭(じちんさい)がそれにあたる。屋敷の形は正方形または長方形とするのが理想的で、かぎ型も少数みられるが、三角屋敷になるのは避けた。屋敷の広さは県内の平均で一〇〇坪から二〇〇坪とされているのとだいたい同じ傾向で、草分けとされる屋敷はそれよりも大きい。たとえば、今井(川中島町)ではふつうの家が二〇〇坪で草分けは九〇〇坪といい、上石川(篠ノ井石川)ではふつうの家が一二〇坪で草分けが三二〇坪というようである。これも地形的な制約が大きいので、山間部では比較的狭く、平地では広いという傾向にある。屋敷への入り口はケダシとかカド、キドという。桐原(吉田)ではここにカドガミ(門神)をまつる。
そこからなかに入ると、母屋の前に庭とよばれる広い空き地が広がっているのがふつうである。農家ではここにむしろなどを敷いて穀物を乾燥させたり、脱穀に使ったりする。ここは農作業の場であるからいつもきれいに掃除されていた。そのまわりの庭木や草花の植えられているところは露地(ろじ)といい、庭に陰を作らないように気をつけていた。北側と東側または西側に風よけのためにけやきなどの大木を植えておくこともあった。乾燥や脱穀を田畑でおこなうようになってくると、庭は農作業に使われなくなって広い空間のままにしておかなくてもよくなり、そこにも庭木や草花を植えて楽しむように変わってきた。お盆のボンバナムカエには長野市の中央通りの花市で求めるほか、庭にある花なども飾る。しかし、何を植えてもかまわないのではなく、くりやなしを植えることを嫌うところがある。屋敷内には自家用の野菜を栽培する畑もあって、センゼエ、センゼバタケなどという。そこでは大根、ねぎ、なす、きゅうりなどの毎日食べる夏物野菜を栽培していて、農作業の帰りにちょっと摘んでいって夕食のおかずにするなどしていた。最近ではトマト、うど、アスパラガスなども作っている。また、旧家に見られることが多いが、屋敷内に墓があって、それは屋敷への入り口とは反対側の場所や西北の隅にあることが多い。
屋敷の庭ではさまざまな行事もおこなわれている。正月におこなわれる鳥追い、もぐら追いの行事では、杵(きね)で庭をたたいたり、家の周囲をついてまわったりして、屋敷の外にもぐらを追いやった。遅くおこなうと他の家から自分の屋敷のなかにもぐらを追いこまれるので、朝早くから競争でおこなったという。同じく正月の行事としておこなわれる成木責めでは、屋敷内の果樹を傷つけて豊かな実りを祈る。
七夕には笹竹に紙の人形や短冊を飾って庭先に飾る。栗田(芹田)では裏庭に飾るものといい、座敷(ざしき)の外縁側の柱に縛りつけた。また、嫁が婚家に到着すると、古森沢では庭でワタボウシをかぶせた。
屋敷の一角にはヤシキガミ・ウジガミ・チンジュなどとよばれる屋敷神がまつられている。持ち山や田の一角にまつる例も少数ながらみられるが、屋敷内の上座の方向や、北、北東、南東、南、南西、西、北西といった方角の隅にまつられている。祭神は稲荷・八幡・伊勢・金毘羅(こんぴら)・天神・大日如来・不動・御嶽(おんたけ)・山の神・地神・農神・刈田・諏訪・猿田彦・荒神(こうじん)・秋葉(あきば)・弁天・大黒・祖霊などでかなりのバリエーションがあり、桐原では家の出自の神といい、小市(安茂里)では先祖あるいは先祖と縁のある神という。こうした神にたいしては屋敷の守護、家内安全、豊作、子育てを祈願する。盆と正月には氏神に供えるのと同じ供物(くもつ)を供え、子育ての御利益がある荒神ならば五月節供(せっく)にまつるというように、それぞれの祭神の縁日にまつっており、神官や祈祷師(きとうし)をよぶ場合もある。