屋敷内の建物としては母屋、土蔵、物置、蚕室、家畜舎、便所、ふろ、井戸、焚(た)き物小屋、隠居屋などがある。母屋はホンヤとかオモヤといい、一部でウチといっている。
土蔵は上層の家にあって、米などを入れておいた。米は俵に入れずに籾(もみ)のまま貯蔵した。柱に板をはめこんで作った穀箱に入れ、貯蔵した米の量が分かるようになっていた。その他衣料や貴重品を収納しておく場所でもあり、近年は改造して納屋(なや)にすることもある。複数の土蔵がある場合には巽(たつみ)の蔵、乾(いぬい)の蔵というように方角をつけて区別していた。物置は母屋をはさんで土蔵と反対側にあることが多く、農機具などの置き場所であるとともに漬物の保管場所ともなり、雨の日などの作業場でもあった。一時は蚕室ともなった。母屋内には便所はなく外便所で、セッチン・ベンジョ・ハバカリ・チョウズバなどといった。内便所をもつ場合にはカミセッチン・カミベンジョなどという。庭に溜(た)めが三つくらいあり、ここで下肥を発酵させて田に運んでいた。家を改築する機会に内便所とすることが多い。便所には便所神、カバヤ(厠(かわや))の神をまつるところがあり、赤沼(長沼)では埴安彦(はにやすひこ)・埴安姫、戸部では金神(こんじん)といい、松代町中町ではこれを女の神と伝えている。御幣をまつったりお札を貼るだけのところもある。中沢(篠ノ井東福寺)や東横田ではシモの病気にならないように正月には注連縄(しめなわ)を張ってまつる。井戸は水源としてだけでなくモノモライができたときには、井戸にふるいや鍋蓋(なべぶた)を半分見せて、治ったら全部見せてやる、といったように呪的(じゅてき)な所作(しょさ)もなされるところであった。綱島(青木島町)や古森沢では井戸に水神(すいじん)をまつり、正月には注連縄を張る。正月の若水は栗田・小市・岩崎(若穂綿内)・花立・岡田(篠ノ井)・灰原(信更町)・柴(松代町)・古森沢では桶(おけ)をもって井戸に汲(く)みに行ったり、戸部(川中島町)では共同井戸の周囲に注連縄を巻いておき、暮れに用意した新しい手桶に汲んでいた。
ふろは持ち運びのできるふろ桶を使った。夏は軒下など外で、冬は土間で浴びていた。個人の家だけで毎晩たてることはできなかったので、数軒でよび合ってふろに入りそのあと茶飲み話をしていた。母屋のなかでふろをたてていたころにはマヤ(廏)の入り口付近に置き、落とし湯は廏(うまや)へ流して肥を作るためにも利用した。隠居屋は経済的に余裕のある場合に作られたもので、多く見られるものではなかった。戦後は野菜や果物の荷造りのための作業所や、自動車を使うようになって車庫を作ることも多くなった。