母屋の構造

21 ~ 22

寄棟(よせむね)造りのクズヤネが多かったが、近年では切妻(きりづま)造りの瓦葺(ふ)きの屋根が増えている。クズヤネの軒端(のきば)のところには、端午(たんご)の節供になると魔除(まよ)けあるいは厄(やく)除けとしてしょうぶとよもぎを挿(さ)していた。現在は母屋の表の入り口や門に挿したり、つるしたりしている。また、嫁入りのさいには嫁がはいてきた草履の鼻緒を切って屋根に投げ上げたというところは多い。広瀬(芋井)では大正末ころまで、老人の葬儀のときにその人の帯を屋根に投げ上げた。軒下のことをガゲシタといい、七夕(たなばた)に雨が降って短冊(たんざく)をつけた笹飾りを庭先に出せないときに、「ガゲシタに入れとけや」といって、軒下に飾った。クズヤネの材料は麦藁(わら)と茅(かや)が多かったが、稲藁も少数であるが用いられていた。屋根葺きのときには、越後から一〇人ほどの屋根職人が来て村に泊まり、棟梁(とうりょう)が請負をして、職人に葺き替える家を指示していた。越後から来てそのまま村に住みつくこともあり、その人に頼んだり近在の職人に依頼することもあった。岩野(松代町)では昭和三十年ころまで生萱(いきがや)(更埴市)や松代の職人に頼んでいた。葺き替え職人の手間賃は、瓦屋根職人、大工、左官、石屋のつぎに位置づけられ、このなかでは一番安かった。