座敷・小部屋の用途

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表座敷は隠居のために使われることもあり、養蚕を盛んにおこなっていたころにはこの部屋も使っていたが、一般にはふだんはまったく使用せず、掃除をしに入るくらいだった。冠婚葬祭には奥座敷とつないで一部屋として使ったり客間として使った。オカノエコウ(御庚講)やネンブツコウ(念仏講)はここでおこなわれた。仏壇も床の間わきの奥座敷にある場合が多い。盆になるとこの前にお膳を置き、蓮(はす)の花の形の落雁(らくがん)や菓子・ほおずき・果物・もろこし・蓮の実・テンプラなどを供え、本尊を安置する。麻屋の街であった桜枝町のような町場では、敷地の制約によって間取りが十分に取れないので、農村とは違って座敷をふだんから使っている。明るく日当たりがよいので、こども部屋やふだんの寝間に使われることも多くなっているが、最近でもっとも改造されていない空間であるといえよう。葬儀は通例ここでおこなわれるが、戸外で変死した人の場合には、広瀬では座敷には入れないで葬式をすませ、その死者の履物を屋根に投げ上げておいた。東横田では縁側に死体を置いて葬儀をおこなった。松代町中町では川で死んだときには壁を破って死体を入れ、五十平(いかだいら)では壁をぶちぬいて出棺したという。

 小部屋は若夫婦の寝間で薄暗く、万年床になっていた。若夫婦の寝間としては土蔵の二階や物置の二階をあてることもあった。出産をするときには若夫婦の寝間を用いていた。桐原では昭和三十年ころから病院で出産するようになるが、それまでは畳をあげて藁(わら)またはスベブトンのなかで座って生み、近所にいる取り上げてくれる人が面倒をみていた。内部を改造するときには壁を取り払ってガラス戸にして明るくしている。