こどもの晴れ着

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衣服は季節や行事にあわせて、その時々に適したものを着るが、長い人生のなかにおいても節目節目に着るべき衣服がある。

 赤子が生まれるとすぐに着せる着物をウブギ(産着)・オボギなどといい、柴(松代町)ではテトオシなどともよぶ。現在はウブギは出産前に準備をしておくが、かつて赤沼などでは、あまり早くから準備をしておくとその子は死ぬなどといわれていたので、紐(ひも)をつけるのを残しておくなどして、出産後に産着(うぶぎ)が完成するようにした。瀬原田(篠ノ井)などでは出産後七日目の名つけ七夜までに、トリアゲバアサンが作って贈ってくれた。したがって七日目ごろまではぬき綿やさらしなどにすっぽり包み、手足が出ないようにしておいた。産着にする生地は、うこんとよぶ黄色地のものや麻の葉の模様のものなど、色や柄に決まりがあった。産着は母親が自分で用意したり、オヤモト(親元)とよばれる母親の里から贈られたりした。

 また、お宮参り用に掛け衣装が親元から贈られる。栗田などでは女の子は三二日目、男の子は三三日目か三五日目にお宮参りをするが、その日に間に合うように親元では掛け衣装を作って届ける。現在は既製品を利用することが多いが、かつては男の子ならナナコか羽二重(はぶたえ)の黒無地か熨斗目(のしめ)模様を、女の子なら縮緬(ちりめん)で江戸褄(えどづま)のように裾(すそ)模様のあるものを作った。衣装は四つ身仕立ての重ねに作り、袖(そで)は袖口が縫ってない広口(大口ともいう)のもので、背と前身ごろに親元の紋が入っていた。掛け衣装は、あとで袖口を縫ったり揚げをしたりして、婚礼のお酌とりに着たり、ことによれば小学校の入学式にも着ていった。

 親元では、このほか藤絹などで作った着物を一重ね、下着、よだれかけ、帽子、チャンチャンコ、袷(あわせ)と綿入れのねんねこ、カメノコ、布団、箪笥(たんす)などを贈った。

 また、初誕生には早く足を拾うように(歩けるように)と履物を贈るほか、三歳の男の子は桍(はかま)祝い、女の子は帯祝いがあるので、桍や帯や三尺を親元では贈った。現在は七五三の祝いが盛んになり、男の子には紋付き羽織袴(はかま)を、女の子には鶴(つる)や花の柄の着物を贈る。このほか入学式の洋服やランドセル・机なども、親元で贈るものとしているところが多い。


写真1-13 七五三の晴れ着 (善光寺 平成9年)

 こどもが一人前になるのはかつては一五歳ごろと考えられ、松代町では女の子は赤い腰巻きをするようになった。腰巻きは母親が買ってくれたり、叔母などが贈ってくれたりした。現在は成人式が一人前のいちおうの目安となり、成人式を迎えるのをきっかけに男の子には背広、女の子には振り袖などを作ることが多い。