冬至にはかぼちゃをオブッコや味噌汁に入れたり、煮つけたりしてたくさん食べる。稲里では年内にかぼちゃを食べ切ってしまわないと娘が縁遠くなるといった。一年に何度かは餅(もち)をついたり団子を作ったりする機会がある。正月用の餅は年末二十五日から三十日にかけてつくが、八は末広がりだから縁起がよいということで、二十八日につくことを好み、二十九日はクモチといって餅をつくことを忌む。昭和五十年代に入ると電気餅つき機が普及するようになった。ついた餅は、オカザリ(二段重ねの鏡餅)とのし餅にする。オカザリは仏壇や神棚・床の間などに供え、土蔵にはオフクデといって少々小ぶりの餅を重ねて供える。
大晦日(おおみそか)の年取りの膳(ぜん)には、年取り魚、かずのこ、ごまめ、ケンチン汁、ごほうのキンピラ、黒豆の煮物、ツブツブや白い御飯などが並ぶ。年取り魚には鮭(さけ)を食べる家と鰤(ぶり)を食べる家とがある。栗田のある家では大晦日と正月に鮭を食べる。鮭は焼いたり、ゆでたり、粕(かす)汁にしたりして食べる。また、灰原ではそれ以外に七日と十一日の蔵開き、二十日の初えびすにも鮭を食べる。太田では大晦日は鮭もしくは鰤を食べるが、正月はとくに決まりがないという家もある。いっぽう、境のある家庭では大晦日に鮭か鰤を食べるが、正月は鱒(ます)を食べる。家によって年越しそばを食べることもある。
昭和二十五年ころまでは年末や正月、村祭り、婚礼、誕生祝いなどの祝いごとや節供、盆、葬式、法事などのときに豆腐を作った。一昼夜、水につけた大豆を石臼(いしうす)の穴に水といっしょに少しずつ入れていきひきつぶす。大釜(おおがま)に煮立てた湯のなかにこのひきつぶした汁を入れて煮てから、しぼり袋に注いで搾ると豆乳とオカラができる。搾った豆乳には大豆一升につき五勺のニガリを入れ、よくかきまぜる。少し固まってきたところで型に流しこみ、蓋(ふた)をしてからおもしをのせる。汁気が出なくなったら水を張った桶(おけ)に豆腐を入れる。しみ豆腐はこのときに水のなかに入れず、薄く切ってざるに入れ、一晩屋外に出して凍らせてから、藁(わら)でつるして乾燥させる。
正月三箇日(さんがにち)に食べるものは家によって異なるが、犬石のある家では元日の初詣でのあとにうどん、昼は雑煮を食べるが、夜は決まっていない。稲里のある家では三箇日の朝食にはそれぞれ雑煮を食べ、二日の夕食にはうどん、元日と三日の夕食には白い御飯と湯引きした塩鮭のついた年取りの膳(ぜん)が出た。雑煮の具は以前は油揚げ・しみ豆腐・ちくわ・かまぼこや白菜・にんじん・大根・ねぎ・里芋の茎などの野菜類が中心で、魚を加えたり、ごまとくるみをすって砂糖を入れたたれを上にかけたりしたが、現在ではこれに鶏肉や豚肉などの肉類や魚介類が加えられるようになっている。七二会のある家では元日の朝食にうどんを作って食べ、夕食には年取りの膳が出た。餅は焼いたり雑煮に入れたりする以外にシミモチにして、焼いたり油で揚げたり、蒸したり煮たりするほか、そのまま食べることもあった。元日には「くりましよく、かきこめかきこめ」といって生柿や干し柿、くりを食べる。七日には大根、にんじんなどを少々入れ、塩で味付けした七草粥を作る。年の初めに若芽を食べることで病気を追い払うとか、残さず食べることで畑に生えてくる雑草を絶やすことができるなどといわれている。十一日の蔵開きには供えたお飾りをすべて下げ、雑煮のなかに入れて食べる。小正月の朝食には小豆(あずき)粥を作る。これは少し多めに作って残しておき、十八日の成木責めのときに柿の木に塗りつける。また、モノツクリといって米の粉で団子や繭玉を作る。ドンドヤキの火で焼いた餅を食べると歯が丈夫になるといわれた。あるいはこの火種を家までもち帰りお茶を沸かすと風邪をひかないという。この日に十五日年取りを、二十日に二十日(はつか)正月をおこない、年取りのときと同様のごちそうを食べる家もあった。犬石では三十日に鬼を追い払い厄よけになるということから、米と玄米の粉で直径一〇センチメートルほどのミソカダンゴを作り、串に刺して障子に挟んでおく。