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節分には炒(い)った大豆を神棚・仏壇をはじめ、屋内、屋外の各所にまき、あとでそれを拾って年の数だけ食べる。以前は節分に鱒(ます)、鮭(さけ)、鰤(ぶり)などの年とり魚を食べていた。現在、古森沢ではこの日に鮭と山かけを食べ、桜枝町ではトロロとケンチン汁を食べる家もある。

 犬石では二月の初午(はつうま)に米の粉で繭玉の形をした団子を作り、竹に刺して神棚にお供えする家もあった。三月十五日の釈迦(しゃか)の涅槃会(ねはんえ)には米の粉でヤショウマを作る。米の粉を蒸して練ったものにごま・青のり・大豆などを混ぜこみ、棒状に伸ばして形を整えて切りそろえる。月後れでおこなうところもある。


写真1-22 ヤショウマ作り(若槻田子 平成6年)

 三月の彼岸の入り・中日・明けの日に仏壇に米の粉で作った団子を供え、入りにはテンプラ、中日にはぼた餅(もち)、明けの日にはヤキモチを作って供える。これらのものを携え、墓参りをし先祖の供養をする。

 ひな祭りは月後れで四月三日におこなうところが多い。甘酒やおこわで祝ったりするほか、紅白の餅を配る家もある。以前は米の粉によもぎや食紅で色をつけた菱餅(ひしもち)を作ったり、草餅を作ったりして雛壇(ひなだん)や仏壇に供えることもあった。初節供のときは親戚や仲人をよんで盛大に祝う。

 各地でおこなう春祭りには、ヤキモチや草餅、赤飯、オオヒラなどの煮物、豆腐の味噌汁やエゴなどを作った。また、にしんやいわし、鱒などの魚類を食べることもあった。祭りのあと、嫁が実家から婚家へ帰るときは赤飯をもっていき、親類や親戚、近所などに配った。立春から八八日目の八十八夜には草餅を作ることもある。犬石では氏子から米を集めて甘酒を作り、祭りのときに参拝にきた人たちにふるまった。また、稲里(更北)ではよい繭ができるようにと米の粉で繭玉を作り、竹の枝に刺して蚕神様に供えた。

 男の子の節供は月後れの六月五日におこなう。稲里では、前夜に塩さばを買って焼いたり、白い御飯を炊いたりして祝った。鯉幟(こいのぼり)や兜(かぶと)、武者人形などを贈ってくれた家には、お返しに柏餅を重箱に詰めて渡す。田植えのときには、たけのことわらびでおひたしを作ったり、にしんの昆布巻や煮豆なども作った。