田畑に入る道

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家と田畑を結ぶ道もまた、日々の暮らしのなかで大切な交通路である。田畑が多く作られている場所には、農道やサクバミチ(作業道)とよばれる公共の道が通っている。そこからさらに、自分のもっている特定の田畑に入る道を、その畑のウマイレとか、ウマミチ、アカセン、サンジャクミチなどとよんでいる。ウマイレとは、「馬を入れる」からきたもので、田畑にはそこを耕す人だけではなく、馬や農機具をも通さなければならなかったためにそうよばれたという。また、アカセンは、公図上に赤い線で書かれているためによばれるようになったもので、古森沢ではかつてはウマイレといっていたが、最近になってアカセンともよぶようになった。

 ウマイレは、馬が荷物をつけて通れる幅を確保するのがふつうで、道幅はたいがい三尺であった。そのため栗田(芹田)や岡(篠ノ井西寺尾)では、田畑に入る道をサンジャクミチともよんでいた。しかし、三尺どころではなく、場合によっては人が歩ける道幅さえ取れない畑もあった。そこで太田や中川(松代町東条)では三尺以上ある道を「ウマイレがよい」といい、それ以下のものは「ウマイレがない」といわれていた。大正から昭和にリヤカーや車を使うようになると、田畑への出入り道も、それらが通れるだけの幅が必要になり、四尺から六尺に広げたところも多かったという。

 ほとんどの田畑には、このようなウマイレが作られていたが、ときにはそうした道のない畑もあった。五十平(いかだいら)(七二会(なにあい))では、ウマイレがない場合、耕作地に行くのにどこの田を通ってもよいとされていた。また、戸部でも、以前はお互い様ということで畔道(あぜみち)を通ることが許されていたが、大正時代の中ごろになってリヤカーが普及したため、簡単な土盛りをしてリヤカーが通れる道を作った。栗田では、ウマイレがないと、農道にリヤカーを止めて、荷物を肩に背負って耕作地に入った。人が通るだけなら、他人の畑を通してもらうこともできるが、馬や車が通らなければならない場合は、やはりウマイレのような幅のある出入りの道が必要であった。そのような場合、道を新たに作らなければならないので、多くの場合、道を新設したい場所を所有する地主に交渉し、条件を決めてウマイレを作っていた。岡田(篠ノ井)や南長池(古牧)などでは、地主から地価の二倍から三倍の高い値で買いとる場合があった。岡では、土地を交換してウマイレを作ることがあったが、その場合は倍の面積の土地を提供しなければならなかったという。また、柴では、ウマイレのない地主どうしが話しあって、費用を出しあったり、土地を出しあったりして作ることもあったという。