薬売りの多くは、越中(富山県)と大和(奈良県)から来た。これはいわゆる置き薬屋で、あらかじめ得意先の家に何種類もの薬を箱に入れて置いておき、つぎに来たときに何を使ったか調べて代金を徴収し、薬の補充をしていくというものである。薬屋は男性で年に一、二回、多くは春と秋に回ってきた。春と秋以外には、松代町中町のように冬から春にかけてきたというところや、時期を問わずにきたというところもある。薬売りは木賃宿に泊まり、袋に入れた薬を行李(こうり)に入れて重ね、大きな風呂敷で背負い、特定の家を訪ねて歩いた。近年は富山県や奈良県の薬屋ばかりではなく、農協でも同じような薬の売り方をするようになったが、富山の薬屋は今もやってくる。
越後(新潟県)や越中の毒消し売りは、置き薬ではなく「ドッケシいらんかね」といっては、家ごとに行商して歩いた。桜枝町では、クロモモヒキにハンテンを着て毒消しを入れた箱を背負った越中の娘が、何人かで木賃宿に泊まって売りにきた。これは、越後や越中から多くは若い娘が組を組んで、遅くは昭和三十年(一九五五)ごろまでやってきた。毒消し売りがきたのは、薬売りと同じように春と秋だとするところが多い。