人は仕事をし、なりわいを立てる。それは村でも町でも変わらない。しかし、仕事の内容は町と村とでは性格が大きく異なる。町の仕事はひとことでいうなら金銭を得るためのものであるのにたいして、村では米や麦また薪や炭といった農作物や林産物を生産すること、とりわけ自分たちの食べ物の多くをみずから生産することにその特徴があった。
また、村のなりわいは、田や畑を耕し山仕事をおこなうというように、自然とのふれあいのなかに成りたつものであった。現代生活はそうした村のなりわいの特徴を失わせつつあるが、村にこれほど貨幣経済がいきわたる前までは、村と町のなりわいの差は際だっていた。
さらにいえば、村のなかにも、善光寺平の平坦(へいたん)地の村とともに、西山(にしやま)とよばれる山間の村も数多くあった。そうした山の村および里の村における生業は、同じように自然を利用し、また、自然に生かされたものではあっても、おのずと趣を異にしたものになっていた。そうした山と里に繰り広げられた伝統的な生業について、ここではみていくことにしよう。