ひとことでいえば、長野盆地における里のなりわいは水田稲作に代表される。
『長野県町村誌』を見ると、明治前期にはすでに耕地全体に占める水田の割合を示す水田率が、八〇パーセントを超えるような村が、里には多く存在していた。里の村のなりわいの特徴は、耕地のほとんどが水田化され、人びとが水田稲作のために用水路を整備したり、ため池を作ったり、またそれを維持するために水利組織を作ったりしたことにある。つまり、里では耕地の水田化にとどまらず、人間関係や社会のあり方までも、強く水田稲作によって規制されるようになったといえよう。
もちろんそうした里の村においても、かつては麦類・豆類や野菜を栽培する畑作がおこなわれてきたが、それらの多くは自分たちが食べるためのものであった。その場合、小麦や大麦といった麦類は、二毛作として冬季の水田を利用して栽培され、また、大豆や小豆などの豆類は、水田の畦畔(けいはん)を利用して栽培されていた。そのように、多くの場合、里における畑作物の栽培は、水田稲作に付随しておこなわれてきたということができる。