里では水田稲作がなりわいの中心になってはいるが、当然それだけでは生活を維持することはできない。たとえば、里の村のなかには、絶対数こそ少ないが、かならず鍛冶屋(かじや)や大工といった職人が存在した。村に住む職人の多くは、町場の職人のように専業ではなく、農業もおこなういわゆる農間職人であった。また、街道沿いの村には馬力や車力などの運送業を営む人や、千曲川や犀川などの大河川沿いの村には川漁師もいた。
時代をさかのぼるほど、里の村には稲作を中心とした農業により、なりわいを立てていた人びとが多く暮らしていたが、こうしたさまざまな生業の人たちも同時に村には存在していたわけで、そうした存在があってはじめて必要最小限の自給的生活は保たれてきたといってよい。