水田二毛作

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かつては水はけのよい水田では、稲を刈ったあとに大麦や小麦などの麦類を蒔(ま)いて二毛作をおこなった。多少湿り気の残る田でも、ヒイセギなどとよぶ排水溝を作って田を乾かすことによって、水田二毛作を可能にしていた。こうして善光寺平では、盛んに水田二毛作がおこなわれるようになった。

 稲の裏作には、麦類のほかには菜種やえんどう豆を作ることもあった。こうして裏作として栽培されるものはほとんどが自家用の食料に用いられた。米麦の二毛作は昭和三十年ごろまでおこなわれていたが、その後は麦にかわってたまねぎやレタス・にんにくなどを稲の裏作に作るようになった。

 堀之内(更北真島町)では、昭和三十年ごろまで米麦の二毛作をおこなっていたが、ときとしてヤスメダ(休み田)といって米のかわりに大豆を栽培することがあった。米-麦-大豆の二年三毛作ということになろう。


写真1-38 田植えのすんだ田とまだ麦刈りのすまない田(稲里町 平成8年)