里における水源はおおよそ二つに分けられる。ひとつは川の水を用水路で引いてくるものである。長野盆地では、古来からこうした灌漑(かんがい)方法が発達している。一例をあげると、犀川の水を引く上中堰(じょうちゅうせぎ)は、取り入れ口の犀口を要にして、扇を開いたように、用水路が南東方向に枝分かれしながら広かっている。大正二年(一九一三)の段階で六八四町歩(一町歩は九九・一八アール)を灌漑していた上中堰のように大規模な用水灌漑になると、何ヵ村にもわたって管理するための組合が作られている。現在はそうしたものが土地改良区に引き継がれている。
ふたつ目が、ため池である。里に作られる場合もあるが、多くは里の周辺の山間地に作られている。ため池の水は周辺地の灌漑に用いられることが多い。また、用水灌漑地の補助水源として作られたため池も多く、浅河原十ヶ村用水組合では、基本的には浅川の水を太郎堰以下一一本以上もの用水路に分流させて水を使っていたが、水不足を解消するために、戦国期から現代にいたるあいだに飯綱山麓(さんろく)に七つのため池を築造し管理してきた。