刈った稲を脱穀前にハゼカケして乾燥させる。そのようになったのは昭和の初めのころである。それ以前は、ジボシ・カリボシ・カッポシ・ヌノボシなどといって、刈った稲をそのまま田に寝かせて干していた。また、シャガマ・タコボシ・タテボシなどといい、刈った稲を五、六把束ねてから穂を上にして地面に置いていく方法もおこなわれたが、これはハゼカケとほぼ同時期におこなわれるようになった。
そのほか、タナガリ・マクラガリといって、畝(うね)一列を刈り残し、そこに四畝分の稲を立て掛けて干す方法や、二毛作をおこなう田では、ひと畝ごとに麦を蒔いたところに、刈った稲を載せていくという方法もとられた。これをカリボシといい、稲刈りと麦の播種(はしゅ)が一枚の田のなかで同時に進行するものである。
はぜが普及する以前は、刈り取った稲を乾燥させることなく、生のまま田でこいて脱穀することも多かった。生でこいた籾(もみ)は庭にネコを広げてムシロボシにした。