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畑では昔から麦の栽培がおこなわれてきた。麦は大麦と小麦をおもに作った。

大麦は米と混ぜて麦飯にして日常食べた。また、小麦はいったん粉に挽(ひ)いてから、コナモノとしてたとえばウドンなどの麺類(めんるい)やダンゴジル、ブチコミなどにして食べた。以前は朝と昼は麦飯を食べ、夜はコナモノが日常の主な食物であった。米の収穫が限られ、また米は重要な換金作物であったため、手もとに残った少ない米をなるべく食い延ばすために、麦飯として米と混食する大麦と米の代用食となる小麦は、山村ではとくに重要な自給的な作物であった。

 大麦・小麦のほかには、第二次世界大戦後には一時期、商品作物としてビール麦を栽培した時期があったが、すぐに衰退した。

 水田の稲刈りを終えると、畑ではムギマキ(麦蒔き)の準備をおこなう。なお山間地では水田二毛作はほとんどおこなわれなかった。まず、畑をミツマタ(鍬)でうなって、麦種を蒔けるようにする。十一月三日の明治節ころから十一月中旬までかかって麦蒔きをした。その後は春にミツマタを使って中耕をする。そうして初夏に収穫することができる。


写真1-44 麦の土入れ (安茂里 昭和30年) 松瀬孝一提供