自給作物に並行して、畑の多くは桑畑にされていった。養蚕をおこなうためである。山間地では、繭はかつて重要な現金収入源となっていった。
一般には、春蚕(はるご)・秋蚕(あきご)の二回、または、春蚕・夏蚕(なつご)・秋蚕の三回おこなった。なかには、晩秋蚕さらに晩々秋蚕を加えて、合計一年に四回ないし五回も蚕を飼うところがあった。このうち春蚕と秋蚕がもっとも掃き立てが多かった。山のほうはどちらかというと秋蚕のほうが春蚕よりも多かった。蚕仕事は、隣近所の家同士によりエイ・エエでおこなうこともあった。また、蚕の上蔟(じょうぞく)と繭掻(まゆか)きのときはとくに忙しく、夜なべ仕事になることも多かった。
蚕の上蔟具には、かつては藁(わら)を小さく折りたたんで作るスクラを使った。スクラはマブシが普及する以前のものである。