紙の原料にする楮(こうぞ)は、畑または田の畦畔(けいはん)にも植えられていた。春、楮の木の芽が出る前に枝を切る。切り取った枝をそろえて束ね、釜(かま)で蒸す。こうした釜は家ごとに所有する場合もあれば、村にひとつあって共同で使用する場合もあった。釜で蒸す作業はユイでおこなうことが多い。蒸しあがると、皮をはいで干し、楮皮として出荷する。
『長野県町村誌』では、村の産品として楮皮をあげている旧町村は、富田(芋井)・上ケ屋・広瀬・入山、塩生(しょうぶ)(小田切)、七二会、北郷(浅川)、高野・田野口・氷ノ田・赤田・三水・安庭(以上信更町)、山布施(篠ノ井)がある。
このうち、富田と入山では、楮皮を用いて紙漉(す)きをおこなっていた。富田の和紙は坂額紙、入山の和紙は山中(さんちゅう)紙として出荷された。