かつて山では農間の仕事として、薪伐(き)りが盛んにおこなわれていた。『長野県町村誌』をみると、産品として薪をあげる村は多い。拾いあげると、北長池(朝陽)・茂菅(もすげ)・富田・上ケ屋・広瀬・入山・若槻東条・上野(うわの)(若槻)・吉(よし)(同)・伺去(しゃり)真光寺(浅川)・西条(同)・北郷・大室(おおむろ)(松代町)・田沢(信更町)・吉原・灰原・田野口・氷ノ田・三水(さみず)・安庭・有旅(うたび)(篠ノ井)・山布施・小森(篠ノ井)・小松原(同)・上氷鉋(かみひがの)(川中島町)・牧島(松代町)がそうである。平坦部の村も若干あるが、多くは西山を中心に、比較的町に近い山村であった。こうした村では、自家用に供するほか、長野町・篠ノ井町・稲荷山(更埴市)といった当時の町場まで、薪を馬の背に付けたり、人が直接背負ったりして運んでは売っていた。