かつてはかすみ網やトリモチを使ったり、オッチョやヒッコクリとよぶ罠(わな)を用いたりしてすずめなどの小鳥を捕った。また、馬の毛を撚(よ)っていっぽうの端をその輪のなかに通し、もういっぽうの端をバセ(俵のふたにするさん俵)につけた仕掛けを作り、バセにきた小鳥が、輪に足が入って飛べなくなったところを捕えた。
また、うさぎも針金の罠(わな)を使って捕った。針金の輪に頭を入れると、首が締まって抜けなくなる罠を、うさぎの通り道に仕掛ける。また畑の回りにはうさぎの食害を防ぐために、地上二〇~三〇センチメートルのところに蚕網を張るが、そのところどころに針金罠を仕掛けてはうさぎを捕った。
このほか、共同でうさぎ狩りをすることがあった。大勢でうさぎを追いだし、待ち構えた猟師が銃で撃って仕留める。三水では、かつては青年会が主体となって、ひと冬にこうしたうさぎ狩りを二、三度おこなっていた。
なお、くま・いのしし・しかなどの大型獣の狩猟は一般にはあまりおこなわれなかった。そんななかで、中川(松代町東条)では年に一度くま狩りをおこなっていたという。
このほかには、しま蛇やまむしなどの蛇類を捕ることもあった。しま蛇は皮をはいで串に刺して乾燥させてから粉に挽いて食べた。おもに漢方薬として用いた。また、まむしも酒とともに瓶詰めにして薬として用いた。切り傷などの外傷に効くほか、胃腸薬にもなった。
なお、狩猟活動とは別に、田畑を動物の食害から守るための工夫がされていた。その代表がシシドテとよばれる土塁で、全長数キロメートル以上にも及ぶものが山間の各地に作られていた。そうした工夫が、前述のうさぎ猟のように、狩猟活動と結びつくこともあった。