山の村の人びとは、自分のところの田植えが終わると、田の草取りまでの期間を利用して、里の村々に田植えの人足として出稼ぎに行った。それをサオトメ・ソウトメまたはトウド・タウエトウドとよんだ。主に女が従事した。山村では重要な現金収入源となっていた。
山では里に比べると一ヵ月近くも田植えが早く終わるため、こうした出稼ぎが可能であった。たとえば、旧芋井村の広瀬では、田植えはほとんど六月十五日のオオダウエの前までに終わってしまう。それに比べて、里の村々では、一番遅いところでは七月中旬まで田植えがおこなわれた。
善光寺平各地には、長野市域の西山の人びとだけではなく、戸隠村・鬼無里村・中条村などの山間部や、田植えの早い牟礼村・豊野町などの長野市に隣接する町村から出かけてきたし、のちには農業協同組合などが斡旋(あっせん)して、遠く富山県や新潟県からも田植え作業の出稼ぎがやってきた。
田植え代行の仕事は、ソウトメマワシやケイアン(桂庵)とよばれる専門の斡旋業者の仲介で行くことが多い。仲介業者は、山の村々を回って人足を確保し、日程や人数を調整しつつ、さながらキャラバン隊のようにソウトメを連れて里の村々を田植えして回った。
田植えが終わると、農家ではにしんを煮たりしてごちそうを作り、ソウトメをもてなすこともあった。