私たちは日々の生活のなかでさまざまな人間関係をつくっている。寝食をともにする家族、職場の同僚や学校の友人、同じ趣味をもつ仲間など、数多くある。こうした人間関係は、いうまでもなく個人レベルのもので、そのありさまは年齢や性別、さらに置かれている立場などによって違いがあって一律ではない。しかし、これらのなかで、だれもが共通してもつのが家族関係であり、住居をひとつにし、その関係が持続・継承されるところに「家」が成りたっている。
そして、それぞれの家は、住居の隣接によって隣近所の家々と親密な関係をもち、そこには助けあったり、共同したりする仲間の家が成立している。組とか隣組などとよばれる家々のまとまりであり、結婚式や葬式には、お互いにさまざまな役割をつとめたり台所仕事を手伝いあったりするとともに、行政などからの連絡事項を回覧板などで知らせあう仲間である。これは江戸時代には五人組という名で存在していた家々の仲間であり、それが明治時代には伍長(ごちょう)組となり、第二次世界大戦中には組織化の指令により町内会とともに隣保班が編成され、さらに、現在は組とか隣組になっている。
一戸の家は、こうした近隣組の仲間をもついっぽう、これよりも広範囲の家々といっしょになって、区とか町内などとよばれる集団をかたちづくっている。それぞれの家は区や町内の一員として位置づけられているのであり、その特色は、一定の領域を自分たちの区や町内の範囲とし、そのなかに神社やお堂をまつり、力を合わせて祭礼をおこなったり、一定年齢のものたちで若い衆という集団を形成したり、道普請(みちぶしん)やセギザライ(堰浚(せぎざら)い)といった共同作業をおこなったりしていることにある。共有の会館をもち、ところによっては山なども共有し、そこに住む人たちみずからが、さまざまに役職者を選出して区や町内の運営にあたっているのであり、自律性の高い集団となっている。このように一定領域をもって、そのなかで自律性をもつ家々の集団は、村と表現できる。
長野市という一つの自治体は、こうした区や町内が、ジグソーパズルのように隣接しながらかみあって、全体としての一つの領域―市域を構成しているといえよう。区や町内が、それぞれ独自性をもちながらも市行政の一翼をになっているのは、こうした仕組みにもとづいているのである。
このように一戸の家は、まず近隣の家々と組や隣組をつくり、さらにこれよりも広い範囲の区や町内の一員になっている。
つまり、長野市域は、実生活の段階でいえば、区や町内といったまとまりをもった地域社会で区切られ、そのなかで互助や共同をおこなう組や隣組を構成して家ごとの暮らしが展開しているといえる。
この節では、区や町内といった地域社会としてのまとまりの姿を、特色を指摘しながら具体的にみていくことにする。