テンマとカンヤク

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前項のように区や町内には一定の範囲があり、ここに住む家々は、その運営のために責任者を選ぶとともに、共有の土地や施設、機具・器物をもっている。それはお互いに協力、共同したり、住むところの生活環境を整え、維持したりするためである。毎日の生活のなかから排出されるごみを回収してもらうには、これを集める場所を決め、使う人たちがルールを守って出したり、回収後に掃除をしたりする。台所や風呂などから出る生活廃水が流れる排水路は、共同して掃除をする、また生活に必要な情報を得るために回覧板を回すなど、生活環境の維持にはさまざまな協力、共同が必要である。

 こうした協力、共同の作業のことをテンマ(伝馬)とかカンヤク(鉤(かぎ)役)、カンガケ、ニンソク(人足)、ムラヤク(村役)などとよんでいる。テンマはオテンマともいって、西平・広瀬・戸部・柴・中川(松代町東条)・入組(松代町西条)・四ッ屋では、いわゆる村の仕事、綱島(青木島町)や松代の中町では葬式の手伝いに出ることをいっている。カンヤクとよぶのは、十二(篠ノ井有旅(うたび))・犬石(同)・灰原(信更町)・三水・松代町中町・岩野・赤柴などであり、赤沼や吉ではカンガケとかカンガケブシンとよんでいる。

 協力、共同仕事の名称には長野市域、さらに北信地域では明らかな地域差があるのが特色で、犀川の南、千曲川の西の地域ではカンヤク、松代町から更埴市の東北部、須坂市・小布施町・中野市・飯山市から下水内郡栄村にかけて、つまり千曲川右岸からその下流域にかけてはテンマ、オテンマとよぶところが多い。そして、犀川の北、千曲川の西にある地域では道普請とか雪かきなどと、作業名をもってよぶというのが一般的である。


図1-4 ムラシゴトの呼び名 (『長野県史』民俗編)

 これらのうちテンマ・オテンマは、いうまでもなく夫役(ぶやく)であった伝馬役がもとになった呼称である。カンヤクは、やや分布が飛んでいるが赤沼や吉のカンガケ、カンガケブシンと同系統の呼称で、川中島町四ッ屋では村中いっせいの出役をカンヤク、順番で何戸かずつ出る役をオテンマと区別している。そして、古森沢では、カンヤクというのは一戸前の家では、どの家からも出なければならない役であるという。ここでは一戸前の家とは囲炉裏(いろり)の上につってある自在鉤(じざいかぎ)であるカギツケの鉤がある家のことで、こうした家の出役をカギヤクといったのを、なまってカンヤクとよぶようになったと伝えている。北安曇郡ではムラの出役をカギヤクとかカギツケヤクとよぶところがあるので、古森沢でいうカンヤク名称の伝承は、間違いないといえよう。家に囲炉裏があり、そこにかかっている自在鉤をもって家の単位とした時代があったのである。カンヤクは鉤役、赤沼や吉のカンガケは鉤懸けということで、これがある一戸前の家というのは、村のなかで権利と義務をもつ家のことを意味している。