テンマ・カンヤク・ニンソク・ムラヤクなどでおこなわれる作業としては、道普請、雪道づくり、用水路の補修が代表的なものであり、ほかに共有山の手入れ、祭りの準備や片付け、神社や公民館などの草刈りなど定期的に決まっている作業と、水害など災害時の出役、火事の後始末など、いわば非常時の出役とがあった。
道普請は区や町内の範囲の道の補修で、未舗装の時代には砂利敷きや草刈り、道に張りでている木の枝おろし、さらに芋井など斜面地をもつところでは、抜けそうな(崩れそうな)場所の土留(どど)めもおこなった。当然、サクバミチ(作場道)とよぶ農道も対象で、たとえば中沢や三水、岩野などでは春秋の二回、広瀬でも春秋の二回で、区長の指示でおこなっている。田子では区の土木委員が中心になって、区のなかの組ごとに分担場所を決め、春の道普請は定期的におこない、その後は大雨が降って道が傷んだときなど臨時にしている。
雪道作りは冬期に雪が積もる地区でおこなわれ、十二や三水ではユキカキとよんでいる。
用水路の補修はセギザライ・カワザライ・セギホリ・セギアゲといったり、セギブシン・カワブシンなどともよばれている。水田耕作をおこなっているところでは、その灌漑水の水路の補修や掃除であり、湧水池から飲料水としても使う日用水を引くところでは、その水路の補修や掃除である。広瀬では、前述のように年に二回、ニンソクで道普請をおこない、水田の耕作が始まる四月上旬には、進上田堰(しんじょうたせぎ)を、いっしょに使っている洞(ほら)と共同して石を並べるなどして築いたし、浦谷池や軍足(ぐんだり)池からの水路のセギホリをニンソクでおこなった。進上田堰は大雨が降って壊れたりすると、ふたたびニンソクで補修となった。また、ここではかつては地区内に死者の焼き場があり、葬式にはこの準備もムラヤクとなった。ただし、これは六~八人が順番につとめる作業で、葬家が用意した十五、六把(ぱ)から二〇把ほどの楢薪(ならまき)を焼き場に運び、棺桶のまわりに積んで藁(わら)で囲って火葬にしたという。
南長池、小市(安茂里)、日方(ひなた)(小田切塩生(しょうぶ))、五十平(いかだいら)(七二会)、岩崎(若穂綿内)、今井、岡、上石川(篠ノ井石川)、長谷、中川(松代町東条)、赤柴、入組などのように共有林をもつところでは、その手入れが共同作業で、たとえば南長池では植林、下草刈り、枝ぶち、根刈り、木起こし、間伐(かんばつ)などの作業があり、遠い山まで行く場合が多いので、それぞれが終わると慰労会で一杯飲むことになるという。