以上は区や町内の各家が平等に負わなければならない義務と考えられているので、これには一定の基準がある。その第一はテンマ・カンヤク・ニンソクには出るのが当然で、もし仮に出られない場合には、出不足(でぶそく)料とか出不足金といって一定金額の負担金を出さなくてはならないことである。呼び名はほぼ全市的に同じであるが、金額は、岩崎では山仕事は半日二〇〇〇円、セギハライは三〇〇円、長谷では用水掘りは一五〇〇円、祭りの幟(のぼり)立ては二〇〇円、常会欠席も二〇〇円などのように、仕事の内容によって金額を変えている。一日一〇〇〇円以下、一日一〇〇〇円から二〇〇〇円のあいだと定額にしたり、時価の日当とし年ごとに高くなるシステムをもったりするところもある。また、男所帯は三〇〇〇円、女所帯はその半額というように、家の状況に応じて柔軟に対応したり、作業が終わると慰労会となるのでその酒とつまみ代を負担してもらうというところもある。出不足料の決め方はこのように区や町内によってまちまちだが、時価の日当としているのがもっとも多いようである。なお、出不足料の取り方には、年間の出役の日数を算出し、過不足を清算して返還、徴収する方式をとったり、お金ではなく、あくまで労力ということで、出られなかった分は、後日仕事をして穴埋めするとしている場合もある。
第二の基準は、出不足料に男所帯と女所帯とに差があったように、出る人が一定の要件を備えていなければならないということである。一軒一人といっても、出る人に著しい差があっては平等の原則が成りたたないからであり、これには一人前のものというのが暗黙の了解になっている。現在はうるさくはいわれなくなっているようだが、少なくとも戦後までは一人前には、だれもが認める一定の基準があった。たとえば男は約六〇キログラムの米俵一俵がかつげると一人前とみなされた。これは小市、五十平、塚本、堀之内、古森沢、東横田、中沢、上石川、長谷、灰原、松代中町などで伝えられており、柴では小麦俵一俵、日方では大豆または小豆俵一俵かつげるのが一人前だった。
このほかには肥桶をかつげるとか、灰原では田植えが一日に「三俵どり」といって一二〇~一三〇坪できる、太田では田起こしを一日に「三俵どり」できる、四ッ屋では背丈以上の長さのセギホリが一定時間内にできるといった基準もあった。これらはいずれも体力と技能による基準だが、青年団に加入すれば一人前、一八歳になれば、あるいは徴兵制度があった時代には徴兵検査が終われば一人前といった、年齢にもとづく基準もあった。