長野市域では伝承地は少ないが、もとは湖だったと伝える注目すべき伝承もある。たとえば池田宮の名で知られた玉依比賣命(たまよりひめのみこと)神社の寛永(かんえい)十二年(一六三七)のものといわれる「海津能(の)鎮守池田宮」には、この地は孝霊天皇の時代には湖で、老翁が小舟に棹(さお)さして釣りをしていたところ、あるとき沖のほうから大魚が泳いできて、老翁に自分はこの地の主であると語った。そして、神々が集まって湖の流尾を切り開いて水を抜き陸地としたのであり、それが今の埴科・更級・水内・高井の四郡であるという伝承が記されている。
この伝承には、よく知られている白髭(しらひげ)明神の説話を思わせる内容が含まれているが、湖水を抜いて陸地とし、そこに人びとが住むようになったという伝承は、北信地方では飯山市中条、信濃町古海(ふるみ)、鬼無里村四角面(しかくめん)、同村東京(ひがしきょう)、中野市江部(えべ)、同市草間などにもある。寛永十二年という「海津能鎮守池田宮」については、のちの宝永(ほうえい)年間(一七〇四~一一)以後に記されたものではないかとされている(「玉依比賣命神社の児玉石神事」)。右にあげた記載はその当時の伝承が社記に取りこまれたといえるわけだが、これと同様な伝承が長野市周辺にいくつもあって注目されよう。