精神的な統合はこれだけではなく、雨乞い、虫送り、風祭り、厄病送りといった共同祈願や農作業の区切りの農休みも重要な意味をもっていた。区や町内の人たちの願いや農作手順が一致しているからこそ、こうしたことが区や町内の行事としてつづけられてきたのである。
雨乞いは、市域では、①鎮守で祈祷(きとう)をおこなう、②戸隠神社へ参拝に行くか水をもらいに行く、③聖山(ひじりやま)権現に参拝に行くか水をもらいに行く、④区や町内でまつる地蔵様や観音様などを水に漬けて祈願する、⑤千駄焚(せんだた)きをするという五通りが伝えられている。このうち聖山権現に行くのは、おおむね篠ノ井西部から信更町にかけての地域で、ほかは戸隠神社へ行き、若穂には須坂市の米子(よなご)不動へ行くところもある。地蔵や観音を水に漬けるというのは、たとえば田子では岩船地蔵を田子神社の湧水まで運んで漬け、雨が降るまで祈願をつづけ、降ったらもとにもどした。古森沢でも雨乞い地蔵を水に漬け、太田では閻魔堂(えんまどう)のショーヅカの婆さんの木像を用水池に投げこんだし、岩野では薬師山から薬師様を運び下ろし千曲川に漬けたという。千駄焚きというのは大きな火を焚くというもので、東横田では千曲川で身を清め、お宮で祝詞(のりと)をあげてから大麦カラの千駄焚きをしたという。
虫送りは神社で祈祷したり、地区のこどもたちが夕方に集まって、松明(たいまつ)をもって村を回ったりする。このときには古森沢のように麦わらの船を作り、これにも火をつけて引き歩く方法もあった。東横田では松明のほかに、虫を入れた虫籠(かご)をもって「ナエムショオクレ、コジキムショオクレ」といいながら村を回り、最後に千曲川に流していた。
風祭りは二百十日などに神社で祈祷するほか、南長池では御幣(おんべ)を切って風のくる方向に向けて鎌といっしょに立てた。厄病送りは各家ごとにおこなっただけでなく、悪病よけということで神社で神主に祝詞(のりと)をあげてもらった。岡田(篠ノ井)では七月十七日にお天王様下ろしといって、村はずれに注連縄(しめなわ)を張ってから輿(こし)をかついで歩いたという。