村の援助

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区や町内が自律性をもつことの、もう一つのあらわれが援助と制裁ということである。援助は、もちろん経済的な援助であり、また、火事などの災害にあったときの援助である。

 いつの時代にも家が経済的に立ちゆかなくなることはあり、こうした場合にはその家によほどのあやまちがない限り、援助の対象となった。具体的な方法にはいくつかあり、その一つは無尽(むじん)講である。頼母子講(たのもしこう)ともいった。たとえば岡田では破産したり火事にあったりした場合には、村の主だった人が先頭になって無尽講の仲間を募(つの)り、最初の掛け金をその家に渡し、あとは年一、二回の集まりの世話をすることで援助の返済になった。中沢や境(稲里町)もほぼ同じで、無尽の一回目を受け取り、そのあとでみんなを招いて一回ふるまったという。花立のように一回目の掛け金をすべて渡し、二回目から掛け金として順次返済したり、あるいは太田のようにハナキンとよぶ無尽の利子をその家に寄付するという方法もあった。通常の無尽講は掛け金を集め、まとまったお金のほしい人がその合計額より少ない金額を入札し、最低額の人がもらえる仕組みなので、差額が出る。その差額のことをハナキンというのである。

 無尽講の方法以外では、有力者がその家の所有田畑を相場より高値で引き取ってやるとか、所有する山を一時的に買い取ってやり、立ち直った段階で買いもどさせるといったこともおこなわれた。