大字広瀬も区としての広瀬も、そのなかにいくつかの区分、家々の仲間があって複雑な姿となっている。これにたいし若槻の田子は、明治二十二年(一八八九)施行の町村制以前は、これで一つの村となっており、現在も大字で区となっている。そして、このなかには図1-5のように新田、北、中村、和出、南の五つの組があって、それぞれで区の諸役である組長、二人の伍長、土木委員、氏子総代、寺世話人、衛生委員、納税委員、公民館委員を選び、これが区の下部組織として機能しているのである。
また、善光寺町の西町上は、これで区を構成しており、そのなかには隣組があって組長が選ばれている。横町も同じで、これで区になっているとともに、このなかに隣組があって組長が決められている。松代の町内もほぼ同様で、たとえば侍町の一つである馬場町は約八〇戸の家があって、これで区となり、なかに一三の隣組がある。代官町は一一〇戸ほどで、やはりこれで区となっていて、なかが三つのブロックに分けられてブロック長がいて、さらに全体が一六の隣組に分かれている。